救いを求めて、スピリチュアル系メソッドなどをいろいろと
渡り歩き、気が付いたらいつの間にか、そうしたものに他者依存
している自分に気付き、やっと地に足が付いた気持ちになれた自分。
その今の自分の気持ちを代弁するような記事に出会いました。
私が今、学んでいる事の一つ、ゲシュタルト療法の日本での第一人者
の一人であり、日本ゲシュタルト療法学会の理事長を務める百武 正嗣
(ももたけ まさつぐ)さん
私が心理学の分野で、今もっとも信頼&尊敬している方の一人です。
その百武さんの著書『エンプティチェア テクニック入門』の中のコラム
(P64)より抜粋
アメリカ・インディアンの長老は、若者が大人になると「旅に出るよう」
に命ずるのである。それは、自分の守護霊に出会う旅である。
若者は自分の守護霊となる動物や自然を<見る>まで何週間も何ヵ月
間もあるいは何年も旅をし続け、けっして故郷には帰って来ることは
出来ないという。
始めは勇んで旅に出た若者も、数週間過ぎて何も<見る>ことができない
と不安になって来る。
不安になった若者が旅先で出会った村の長老に教えを請うと、「信じる道」
を歩けと教えられる。
ふたたび勇気を得た若者は旅を続ける。
しかし、何ヵ月間も成果がないと気落ちしてくる。
それでも故郷の村に帰ることはできない。
さらに若者は森をさ迷い、砂漠を歩き、疲れ果てても旅を続ける。
それでも何年過ぎても<見る>ことはできない。
ついには、もうろうとした意識の中で立ち往生をする。
一歩も先に進むこともできないほど疲れてしまった。
そのときに、若者は決心するのである。
「もう長老たちの教えを捨てよう」と、彼らの教えなど何の「価値もない」
と気づく。
若者は長老たちの教えを捨て、自分の信じる道を歩こうと決める。
自分にとって必要な物だけを探そうと決心する。
若者が自分で決めた道を歩きはじめると、足の裏に伝わる一歩一歩が
はっきりと「自分」の道であることを感じたのだった。
そのときに<扉が開く>のだ。
それが信じる道であり、自分の心で<見る>ことであることに気づいたのだ。
約10年間、さまざまな事に救いを探し求め、結局それらの中には答えが
無いと知り。
失意の後、自分の足で立って、再び自分の力で人生を切り開いて行こう
と決めた結果、まるで足元に咲いていたのに気が付かなかった小さくとも
綺麗で力強く咲いている花に気付いたように、出会ったゲシュタルト療法。
結局、どんな素晴らしいものであっても、おかしい部分はおかしいと自分
で判断し、自分で決め、それを信じて進んだ事しか、自分のものとなり、
自分の人生の扉を開くものとはなりえないのだと確信しました。
ちなみにゲシュタルト療法は一般的な心理学的療法と比較してとても
ユニークなところがあります。
体験として、人によっては時に不思議な至高体験や神秘体験をする事も
あるそうですが、そうした事を目的としてとらえるスピリチュアルとは
異なりゲシュタルト療法の目指すところは、自分の中にあるどのような
感覚も受け入れられるようになる事なのです。
自分の感じたことを信じて生きていくことを、人生にとり入れていくことだと。
その精神に従い百武さんも、自分の心で<見>て良いと信じたことはいろいろ
と取り入れられています。
その一つが以前このブログで紹介した、フェルデンクライス メソッド。
これは、ゲシュタルトでいう気づきと全く同じ視点を持っているそうで
ゲシュタルト療法を作ったフリッツ・パールズとフェルデンクライス
メソッドを作ったモーシェ・フェルデンクライスは、晩年
「我々は同じ事をやっている」ことに気がついて、一度話し合おうと
いうことになったらしいです。
(残念ながら当時お互い既に高齢だった為実現しなかったそうですが)
という事で、フェルデン・クライスに興味持たれた方にもゲシュタルト療法
は受け入れやすい考え方だと思います。
今回の記事をこのブログに書こうかどうか迷ったのですが、今後この手の
心理学的な話は、私の姉妹ブログ『幸せになれる心理学』の方へ書いていく
つもりですので、もしご興味ありましたらそちらもよろしくお願いいたします。
参考までに、ゲシュタルトをわかりやすく読みやすく書かれた、
百武 正嗣さんの著書を紹介しておきますね。
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